こんにちは、絵馬子(えまこ)です。今週のお題「初任給」。
息子たちが初任給をもらう、または自営業で稼ぐのはまだまだ先のことなので、たまには自分の事でも書こうかしら。
自分の初任給をどう使ったかといえば、細かくは覚えていませんが、大部分を生活費に充てた事は間違いありません。親へのプレゼントや、自分へのご褒美など、ほっこり華やかな思い出ではなく、結構ヒヤヒヤして初任給を待っていた記憶があります。
大学生時代
話は遡って学生時代。たぶん、いわゆる苦学生でした。たぶん…としたのは、大学生活は本当に楽しく、状況的には苦労人なのですが、苦労した記憶がほぼないからです。
世間で言う「大学に行かせてもらった」とは少し違うかなとは思います。
・授業料免除制度
・奨学金
・バイト
・学生寮
これらの条件でもって成立していた学生生活でした。もちろん仕送りはありません。
しかし、同じ学生寮に住む子の中には、親が奨学金や授業料免除の書類に署名や印をしてくれない、源泉徴収票をもらえない、という理由で昼間は働き夜間学部に通う子などもいたので、惜しみなく書類に署名捺印してくれた自分の親には感謝しています。また、各種制度がなければ大学には通えなかったと思います。日本に生まれて良かったー!
オンボロ学生寮は4人部屋で、風呂トイレ調理場全て共用、部屋に冷房無し(食堂にだけ設置)、他にもヤバ目の条件は色々はありつつも、水光熱費込み月1万5千円程度の寮費で、授業のある日は朝晩食事付きという破格の安さを誇っていました。お金が無いなりに、花見に行ったり海に行ったり、グラウンドを借りて運動会をしたり、楽しい大好きな寮でした。
寮の費用が安いので、案外奨学金だけで暮らしていけてしまい、バイト代の大部分は自動車教習所の費用になりました。
そういう状況であったので、貯金もしていましたが、大した額は貯まりませんでした。
実家に戻るという選択肢はナシ
実家に帰れば諸費用が抑えらる、というのはあると思います。だた、私にはその選択肢は無理でした。実家が魔境なのです。僻地にあるという意味ではありません。
学生時代に何度か帰省しましたが、帰るたびに自分の部屋だった部分に、洋服や郵便物や段ボールといったゴミが増えていき、二年生になるころには腰のあたりまで、三年生になるころには肩のあたりまでゴミでした。そういう家でした。
途中から、実家に帰省する時には、近くのビジネスホテルに泊まるようになりました。年越しを実家近くのホテルで過ごすという意味不明な状況になりましたが、それはそれで楽しかったです。チャンネル争いなく年越し番組が見られますし。さすがに、帰省した時のお小遣いは貰っていました。というか宿泊費の実費。
ということで私には、就職後も実家に戻る選択肢はナシ!絶対帰らないぞ!という意気込みがありました。
待っていたよ!初任給
大学4年生、卒論も就活も頑張りました。
就職先が決まり大学が卒業できたら、学生寮は出ていかなくてはいけません。アパートを決めて、家電も買って、3月中に入居して、ガス電気水道も通して…。
自分の城を持てたワクワクがあると同時に、このスタートダッシュの出費が怖い怖い。初任給の振り込み日と、各種引き落とし日を確認して、電卓たたいてソワソワ。
親に頼るのは、借りを作るようで嫌いでしたが、想定外の出費があったら援助お願いするかも、と話した記憶があります。
そして待ちに待った初任給!
最初の一ヶ月なんて研修ばかりだったように思いますが、それでもお給料が満額払われるなんて素敵ですよね。なんとか口座をゼロにせずに、支払いを終えることができました。
給料さえ入ってしまえばこっちのものです。もともと月5万の奨学金をやりくりして過ごしていた私にとっては、新卒給料で豊かに暮らすなんてのは楽勝です。
初任給はシビアに生活費として使いましたが、何回目かの給料で親にちょっとしたプレゼントはしました。
以上。私にとって初任給は、綱渡りの思い出です。こんなものまで読んでいただき、ありがとうございます。